Column

ゲノム編集で人類を感染症から守る -CRISPR/Cas9とマラリアの戦い-

2024.01.18

感染症の脅威

2019年、中国武漢で集団感染が確認されて以降、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、世界中で大流行を起こしました。COVID-19は、私たちの生活をそれ以前とは比べものにならないほどに激変させた人類史に残る凶悪な感染症の一つであるといえます。

しかし、感染症が人類の脅威となったのはこれが初めてのことではありません。紀元前より流行して多くの死者を出したとされる天然痘、14世紀の欧州人口の三分の一を死に至らしめたペスト、第一次世界大戦直後から流行し世界の三分の一近い人口の感染者を出したとされるスペイン風邪など、人類の歴史は常に感染症との闘いとともにありました。その中でも「マラリア感染症」は、先史時代から霊長類の人獣共通感染症として数多くの死者を出し続けている感染症として知られています。現代においても未だにマラリア感染症に罹患して命を落とす人は後を絶ちません。そこで今回は、マラリアに対する治療の試みを、ゲノム編集の立場からアプローチしていきます。

マラリアについて

ゲノム編集を用いたマラリア治療の話をする前に、まずはマラリアについて整理しましょう。マラリアはマラリア原虫(Plasmodium spp.)と呼ばれる原虫を病原体として、ハマダラカ(Anopheles spp.)によって媒介される血液感染症である[1]。ヒトに感染が確認されているマラリアは、熱帯熱マラリア原虫(P. falciparum)、三日熱マラリア原虫(P. vivax)、四日熱マラリア原虫(P. malariae)、卵形マラリア原虫(P. ovale)、サルマラリア原虫(P. knowlesi)を病原体とする5つが存在しますが、その中でも、熱帯熱マラリアは「悪性マラリア」とも呼ばれ、特に重篤化するリスクが高いタイプとして知られています。

マラリア原虫が感染するのは主に赤血球です。感染した赤血球はマラリア原虫の活動により破壊されます。その結果、赤血球のゴミ処理場である脾臓の負担が増大して大きく腫れあがったり、「血栓」と呼ばれる血の塊が形成されて各臓器の血管が閉塞したりして全身の臓器が障害されます。その中でも脳が障害を受ける「脳マラリア」は致死的で、発症した患者は昏睡状態となって最終的には死亡してしまいます。

マラリア感染症に対する治療薬は、これまでにもいくつか開発され、実用化に至っています。例えばキニーネは、キナの樹皮に含まれる物質から作られた薬剤であり、クロロキンやプリマキンなどの主要な抗マラリア薬のもとになった薬剤として知られています。その他、アルテミシニンはヨモギ属の植物であるクソニンジンから作られた薬剤で、発見した中国の屠呦呦氏は2015年にノーベル医学・生理学賞を受賞したことでも有名です[2]。

人類は様々な治療薬を開発してマラリア感染症の駆逐を目指してきました。しかしながら、未だ世界で毎年60万人を超える人々がマラリア感染症によって命を落としている現状を見ると、従来のような治療薬開発によるアプローチだけではマラリア感染症を駆逐することは難しいと考えられます。そこで、CRISPR/Cas9を用いてマラリア感染症への対策を試みる研究の一部を紹介します。

ゲノム編集とマラリア

現在、ゲノム編集技術として主に使用されているのは、セツロテックも取り組むCRISPR/Cas9システムです。このCRISPR/Cas9が世界で初めてマラリア原虫に対して研究適用されたのは、2014年にNature Biotechnologyに投稿されたMehdi Ghorbal氏らの研究です[3]。Mehdi氏らは、CRISPR/Cas9は、適切なgRNAの設計により、マラリア原虫においても簡易的に二本鎖切断を誘導できることを示しました。さらに、donar DNAを導入して相同組み換えを利用することで、マラリア原虫に外来遺伝子を誘導できることも確認されたのです。

この研究では、マラリア原虫の染色体のegfp 領域をターゲットとして、二本鎖切断を誘導し、ヒトにおける葉酸拮抗代謝阻害薬に対する耐性遺伝子を導入した結果、三週間ほどで葉酸拮抗代謝阻害薬耐性を持つ、egfpを欠損したマラリア原虫の繁殖に成功しました。また、以前の研究でC580Y遺伝子の変異とアルテミシニンの薬剤耐性の関連が示されていた[4]ことに注目し、CRISPR/Cas9によるC580Yのノックアウトにより、マラリア原虫にアルテミシニン耐性を獲得させることにも成功しました。

そしていずれの実験においても、有意なオフターゲット効果は確認されなかったことが述べられています。(オフターゲット効果とは、CRISPR/Cas9において懸念されている、意図しない遺伝子変異が発生することです。)以上の研究を踏まえ、適切なCRISPR/Cas9の利用により、現在深刻な問題であるマラリア原虫の薬剤耐性に関する研究などがより一層発展していくことが期待できるでしょう。

もう一つ紹介したいのは、2018年にNature Biotechnologyに掲載されたAndrea Crisanti氏らの研究です[5]。Andrea氏らは、遺伝子ドライブに注目し、マラリア原虫ではなく、マラリア原虫を媒介するハマダラカに対してCRISPR/Cas9を用いることで、効率的にゲノム編集を行うことを試みました。(遺伝子ドライブとは、特定の遺伝子が偏って遺伝していく現象のことです。)この遺伝子ドライブを人為的に起こすことができれば、理論上は世界に広がる生物の個体群の形質を操作することができるということです。

Andrea氏らは、ハマダラカにおける生殖に関わるdoublesex遺伝子におけるintron 4–exon 5領域をCRISPR/Cas9においてノックダウンさせることで、生殖機能を失ったハマダラカの作成を試みました。結果として、ケージに入れられたゲノム編集ハマダラカは7世代目にはほぼすべての個体が生殖機能を失い、最終的にハマダラカは全滅してしまったのです。

この実験はケージ内に限られたものでしたが、仮にこのハマダラカが実際の自然界に放たれれば、世界中のハマダラカから生殖機能が失われ、いずれハマダラカは全滅するかもしれません。マラリア原虫の媒介生物の絶滅はすなわち、マラリア感染症の撲滅を意味します。

マラリアの殲滅という視点だけでみれば、CRISPR/Cas9を用いた遺伝子ドライブは人類にとって有益だと言えますが、ハマダラカの絶滅が最終的に人類にどのような影響を及ぼすかについては更なる研究が必要です。人為的な遺伝子ドライブによって個体群を絶滅させることについての倫理的な問題に関しても議論が必要であり、安易なゲノム編集による生態系への関与は慎重になるべきでしょう。

また、マラリアだけではなく、SARS、新型インフルエンザ、COVID-19のように、約10年周期で発生しているパンデミックに対しても、CRISPR/Cas9の介入の余地はあるかもしれません。現在、歴史上最も速い速度で広がりを見せたCOVID-19が収束しようとも、いずれまた違った感染症が発生することは想像に難くありません。今回のパンデミックを教訓に、人類の英知である様々な技術を駆使し、感染症の殲滅と生態系への影響というバランスを慎重に考えながら、CRISPR/Cas9が人類と地球にとって最善の方法で利用されていくことが望まれます。

参考文献

[1] World Health Organization. “Malaria”.
[2] The Nobel Foundation. “Press release: The Nobel Prize in Physiology or Medicine 2015.” The Nobel Prize. 15 October, 2020.
[3] Ghorbal, M., Gorman, M., Macpherson, C. et al. Genome editing in the human malaria parasite Plasmodium falciparum using the CRISPR-Cas9 system. Nat Biotechnol 32, 819–821 (2014).
[4] Ariey, F., Witkowski, B., Amaratunga, C. et al. A molecular marker of artemisinin-resistant Plasmodium falciparum malaria. Nature 505, 50–55 (2014).
[5] Kyrou, K., Hammond, A., Galizi, R. et al. A CRISPR–Cas9 gene drive targeting doublesexcauses complete population suppression in caged Anopheles gambiae mosquitoes. Nat Biotechnol 36, 1062–1066 (2018).